


「郷見庵(さとみあん)」は、今年の五月に建てられた工事現場用のプレハブでできた小さな小屋です。中越地震で集落の大半が水没した長岡市旧山古志地域木篭(こごも)集落に住んでいた松井治ニさんが、地震直後の写真や新聞記事などを展示し、人々の出会いの場所にしようと作られました。

地震の記憶を残しながら、ふるさと復興に力をそそぐ人たちの話を聞き、山古志の今を訪ねました。ほんの八畳ほどの小屋の中には、取材当日埼玉から訪ねてきたというご夫婦が、松井さんの話に聞き入っていました。故郷が新潟だというご夫婦は山古志のために何かできないかと訪れたといいます。同席していた関正史さんは、松井さんと共に闘牛の復興に力を注いできました。地震直後、谷底に落ちた水没寸前の闘牛をヘリコプターで救い出だすことを思い立った人たちです。

取材に訪れた六月現在、山古志の道路の九十パーセントが復旧し、今年度中には100パーセントの道路の復旧と全村民の帰村を目指しています。道路の復旧後、農地の整備も順次進みようやく五月、地震後初めての田植えが、松井さんはじめ四軒の農家によって二十アールの棚田で行われました。

この田植えは、山古志以外の人たちとの交流ができる機会にしようという、松井さんの想いが込められています。実際田植えには、中越地震をテーマにした映画「マリと子犬の物語」の撮影にボランティアとして参加した人たち十数人も参加しました。田植えだけでなく、松井さんが始めたのは、畑作のサポーター。年会費5000円で種や肥料を買い、地域外の人たちが自分たちで農作物をつくり、自分たちがそれを食べる。「作物ができれば喜びの収穫だが、できなかったら仕方ない。できなくても出会った人のつながりは残る。」松井さんは言います。自分に力がなければ、人に聞く。教わる。人を受け入れることから全てが始まると。

地震によって、土地も家も失い、闘牛も、多くの肉牛も亡くした松井さんら山古志の人々は、何よりも得がたい多くの人との絆を手に入れ始めています。
「郷見庵」はその名の通り、今は土砂崩れのダムを見下ろす場所ですが、棚田を少しずつ整備し、山古志の絶景ポイントになるだろうといいます。百年後の山古志のためにも、今があってこそ。だからこそ松井さんは、一瞬一瞬の出会いを大切に、全ての人を受け入れ出会える場所づくりをしています。いまだ仮設住宅での暮らしを続けながらも、ふるさと山古志のために力を注ぐ松井さんの清々しい生き方は、どんなときも前向きに明るく生きる強さと、故郷を愛するひたむきさを教えてくれます。闘牛の里、錦鯉の里、美しい棚田の里という伝統を守るためにがんばったのではない。多くの山古志の伝統文化が、自分たちを守ってくれたんだという松井さんの言葉が、何より想いの深さを物語っていました。
(この取材は2007年6月に行ったものです)

突然襲ってきた大地震。全村を奪われた人々が故郷を取り戻すまでの姿と心の記録が『1000年の山古志』と題し、平成20年秋、地震のあった十月二十三日の上映を目指し、ドキュメント映画として製作されています。「決して便利とはいえない山に帰ろうとする私たち人間にとって、豊かさとは何だろうと考えさせられます。」「老人を含め、全ての人が帰れることに意味があるように思うのです。」中越大震災山古志復興映画基金代表も務める前出の関正史さんは、言います。
また、この映画を撮る橋本信一監督は、昭和初期、十六年もの歳月を費やし、村民の手により掘られた、山古志に現存する一キロメートルの手掘りトンネル中山隧道についての山古志スピリットを『掘るまいか』という映画にした人です。日本人が大切にしてきた知恵、家族愛を山古志のなかに見出しています。この映画は山古志復興映画基金による多くの方々の協力によって成り立ちます。
このドキュメント映画についての詳しい情報は、ぜひ公式ホームページ
http://1000yamakoshi.main.jpをご覧ください。