
信濃川と緑豊かな小高い丘陵に挟まれた与板は、越後の小京都とも呼ばれ、昔ながらの商店街が残る静かな町です。この町が今、にわかに活気付き始めているのは、2009年NHK大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼続が、与板城主となりこの町の礎を築いたからです。
兼続は、「越後与板の打刃物」として有名な鍛冶産業の振興にも力を尽くしました。今もその伝統が脈々と伝えられています。

◆400年の歴史を経て伝わる伝統の技
昔ながらの商店が立ち並ぶ与板のメインストリートから一歩裏道に入ると、そこはもう大河ドラマの舞台そのもののような新緑に包まれ、苔むす参道の厳かな寺に出会えます。ここ「徳昌寺」は、直江兼続の菩提寺として残る古刹です。この地に与板城を築いた兼続は、与板の基盤をつくった人物として今も敬われています。
上杉謙信の家臣直江大和守実綱(なおえやまとのかみさねつな)(兼続の祖父)が、16世紀後半、春日山より刀作り職人を招き打刀物を作ったのが、およそ400年前のこと。その後藩主が変わっても、打刃物の技は伝え続けられました。江戸中期には与板の大工道具は「土肥のみ」「兵部のみ」として全国に知れ渡ったといいます。
◆伝統工芸品としてさらに価値ある刃物へ
この伝統ある「越後与板打刃物」を産業として後世に伝えようと、長い間力を尽くしてきた与板金物振興協同組合の前組合長・久住誠治さんにお会いすることができました。
現在79歳の久住さんは、与板に6人いる伝統工芸士の1人でもあり、昭和61年伝統的工芸品の認定(経済産業大臣指定)を受けるまでの道のりを大きく支えた人でもあります。伝統工芸品の認定を受けるにはいくつかの条件がありますが、そのひとつに100年以上の伝統を実証することが必要です。まず、400年の長い歴史を紐解く必要がありました。

◆焼いては叩き、焼いては叩く職人の誇り
「昔は野かじといわれる人が、どの部落にもいたものです」と久住さん。かつては村にとって農具である鎌・鍬をつくる鍛冶屋はなくてはならない存在だったといいます。
その後与板では鉋・のみ・ちょうななど、大工道具として、職人のための優れた道具がつくられてきました。プロに求められる道具をつくり続けることで、品質の確かさが追求されたのでしょう。ずばり、与板打刃物の魅力を訪ねると、「切れ味の鋭さとしか、いいようがないですね」と久住さん。鉄に銅(はがね)をつける鍛接(たんせつ)から鍛造(たんぞう)、焼き鈍し(やきなまし)、何度も焼いては叩く、焼いては叩くを繰り返す。「強いが粘りのある」、「よく切れるが割れない」よい刃物は、こうして出来上がる。職人ならではの綿密な温度管理によって鋭い切れ味は、生み出されるそうです。
◆昔も今も人々に愛される刃物を目指し
しかし、木造の日本建築が年々減少する中、道具の使い手も減っていくのは否めない事実だといいます。そんな中、与板で唯一打刃物の店を開き一般のお客様に裾野を広げているのが、「河政刃物」を受け継ぐ河野稔さんです。店頭にはプロ仕様の道具のほかに、一般向けの彫刻刀も並びます。与板刃物工芸館として毎週日曜日に彫物教室を開き、老若男女、プロアマを問わず、彫物を通して出会える場所をつくっています。伝統の技術と技法は、与板の刃物を愛する多くの人の手によって伝えられています。幾人もの職人たちの心意気が鍛冶屋を通し、金物を通し、脈々と受け継がれています。「しばしも休まず、うち打つ響き・・・」小学生の頃、遠い昔のお話として口ずさんでいた童謡の中の「鍛冶屋さん」が、今こうして黙々と熱い鉄を打ち続けている静かな与板の町でした。

<秋の与板の見どころ>〜与板十五夜まつり〜
秋、与板の一番の見所といえば、十五夜まつりです。このまつりで繰出す登り屋台の歴史は古く、宝暦7年(1757年)以前にさかのぼります。当時の商人が三台作った屋台が、今に伝わっているそうです。
万燈・登り屋台は町中を移動し、都野神社に向かいますが、その熱気と激しさは250年を経た今も変わることがありません。


開催期間・・・9月12日(金)〜14日(日)
問合せ・・・・・与板十五夜まつり連絡協議会